3.11→9.11

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(2011年3月11日 午後7:20 都内某所)

あの日からあっという間に半年が過ぎました。

あっという間と思う人もいれば、とてもあっという間なんて言えない人もたくさんいると思います。

みんなそれぞれの半年が過ぎました。

半年前は、このレポートを書くことが躊躇われて書けずにいました。

でも、日本の歴史に残るこの日を、震源地から少し離れた東京であっても体験したので、
わたしも記録を残してみたいと思います。

全然たいした記録じゃないけれど・・・。





2011年3月11日 午後2:46

わたしは、月に一度のおつかいで、郵便局へ切手を買いに行く途中でした。

郵便局の建物が見えたあたりで、

ガシャガシャガシャ・・・

という窓ガラスがこすれているような音が聞こえてきました。

でも、揺れみたいなものは全然感じていなくて、でも音が地震のときみたいな音がするなー
と、周りの様子を伺ってみたけれど、まったく異常なし。

さらに数十秒歩き、郵便局のポストが見えて来たところで、
突然自分が千鳥足みたいになってまっすぐ歩けなくなっていることに気がつきました。

なになに??

立ちくらみ??

違う!地震っ??

周りを見渡すと、電信柱がグラグラしなって、電線がばっさばっさ揺れていました。

工事現場のおじさんが

「これは大きい!」

と叫び、信号を渡っていたおばさんが

「キャー!!」

と走り出す。

わたしはとりあえずポストへ向かい、ポストにしがみつきました。

しがみつかないと立っていられないんじゃぁ・・・と思うほどの激しい揺れ。

しばらくしてもおさまらないどころか、どんどん激しくなっていく揺れ。

ゴゴゴゴ・・・・

ガシャガシャガシャ・・・

普通じゃない音があたりに鳴り響き、これはやばい!!!
ついに来た!!関東大震災!!!

そう思いました。

わたしはケータイがつながるうちに・・・と思って、まだ揺れてるさなか、マリーさんに電話をしてみたけれど、
もうすでにつながらず・・・

同じく郵便局に用事があったらしきおばさんは

「ATMが使えるうちにっ・・・!!!」

と、郵便局へ駆け込みました。

誰もがこれはヤバい!!と感じたのだと思います。

すぐに郵便局から局員さんが出てきて、「危険なので入らないでください!」

と、指示がありました。

揺れがおさまって5分ぐらい経っても、わたしはポストにしがみついてぼーぜんとなっていました。

はっっと我に返り、

「もう入っていいですか?」

と局員さんに聞くと、もう大丈夫とのこと。

そして、予定通り切手を買いに郵便局へ入ると、

天井からぶら下がっているパネルはまだグラグラ揺れていて、

局員のみなさんも、お客さんも、時が止まったようにその場所に立ち尽くしていました。

わたしたち外から入ってきたお客を見ると、中に居た方々の時計の針が

パっと動き出したように、いつもの風景を取り戻しました。

それから、何回も会社やマリーさんに電話したけれど、まったくつながらず。

無事切手を購入して、会社に帰ると、

みんなが

「はるちゃーーーーん(>_<)よかったーーー!!迎えに行こうかと思ったよーーー(>_<)」

と、心配してくれていました。

緊張していた心がほぐれました。

でも、次の瞬間、また心が凍りつきました。

この地震の震源地は、絶対に関東近辺だと思っていたからです。

「震源地は東北だって!!」

えええええええええーーーーーーーーー!!!!!!!

あ、あんなに揺れたのに、あれが最高ではなかったのか・・・・・

わたしは郵便局からの帰り道、密かに誇らしく思っていました。

いつ来るかいつ来るかと思っていた東京の大地震がついにやってきた!!

でも、見る限り、全然崩壊していない!!

阪神大震災を経験した日本だから、本当に素晴らしい耐震能力を持っていたんだ!!

なんて。

なのに、震源地は東北・・・

がーーーーん。

すぐさま自分の席について、ネットで情報を調べてみる。

出てくる情報は、

・千葉の石油コンビナートで火災
・お台場のビルで火災
・九段会館で崩落事故

これぐらいの情報しか出ていず、東北の情報なんてほとんど入ってきていなかったもんだから、
やっぱり自分らが被災者なんだという気分がとても強かったと思います。

会社の電話から家にかけると、一発でつながったけれど、家には誰もいないみたいで、
留守電になりました。

新潟のおばあちゃんの家に電話をかけると、また一発でつながり、みんな無事だと。

姉の家に電話をかけると、また2、3回目のチャレンジでつながり、みんな無事とのこと。
この日、コウキチさんは偶然風邪をひいて幼稚園をお休みしていたのだということを知って、安堵。

周りのみんなは会社の電話を使ってもなかなか思い通りにつながっていなくて、
こんなときだけどやっぱりわたしは何かを持っている!ふっふっふ♪と、得意げに

「わたしがかけてあげましょうか??(・v・)」

なんてふざけたりしていました。

その後、金曜日の午後なので、けっこう仕事がたくさんあり、
心ここにあらずなんだけれど、とりあえず仕事をさばかなくてはいけない・・・!!

と思って、一生懸命パソコンのキーを打ち続けました。

しばらく仕事をしつつもネットで情報を集めていると、

「今回の地震は阪神大震災の数百倍のエネルギーだった」

という情報が入ってきました。

えっ!!数百倍っ??なんじゃそりゃ??冗談でしょーーー??

なんて、隣の席のお姉さんと笑いました。

「でもやっぱりすごいよね!!日本は。数百倍のエネルギーなのに、こんななんともなく
笑ってるもんね、うちら。やっぱ阪神を経験してるから!!」

なんて、得意げに会話をしていました。

そんな会話をしていた頃、家を、街を、目の前で失って行く人がいたなんてこと、
わたしはまったく知りませんでした。

トイレに行こうと通りかかった休憩室で、おじさんたちがニュース番組を食い入るように見ていて、
わたしもちょろっとのぞいてみると、ちょうど仙台空港に津波が押し寄せているところでした。

でも、家や街が流されている映像ではなく、仙台空港の滑走路に黒い水が押し寄せて、
車や飛行機が押し流されている映像だったので、わたしの中であまり重大な出来事に見えず、

「あぁ、仙台空港、大変だねぇ~・・・」

と、「空港」というわたしにとって「非日常」な場所に波が来てしまったぐらいな意識で、
そのままその場を立ち去りました。

「たぶん電車とまってると思うけど、いってきまーす。」

と、営業に出かけたおじさんは、数十分後に

「やっぱりとまってたわ。復旧の見込みたってないってよ!もうすんごい人!」

と、帰って来ました。

また、別のおじさんは、コンビニを見に行くと、早くも買占めが始まっていたという情報を持って帰って来ました。

そんな姿を横目に見つつも、どうしたらいいかわからず、とりあえずひたすら仕事をさばきました。

そして、度々襲ってくる余震。

地震が起きてすぐに、電話がつながらないからマリーさんや陽子にメールはしていたのだけれど、
そのメールもなかなかつながりませんでした。

で、しばらくして、PCからGメールで陽子にメールをしてみると、
なんと普通につながりました。

しばらく陽子とメールでやりとりしているうちに、終業時間の5:30がやってきました。

そこでようやく

「はて。電車はまだ止まっているのか・・・。これからどうしよう。。。」

前々から、東京で地震が起きたら電車は止まり、歩いて家に帰ることになる日がいつかは来る、
みたいな話をしていたり、TVでそんな番組をやったりしていたけれど、

本当にそんな日が来てしまったんだ・・・

そう実感して、なんだか笑えて来てしまった。

そのままどうしていいかわからず、1時間近く、ただひたすら会社のみんなで
その場に留まっていました。

しばらくすると、女性だけでも会社の車で家に送り届けようという動きが社内に現れ、
住んでいる地域ごとにグループ分けが始まりました。

わたしはすぐ近所で働いている陽子と、とりあえず、会社と家の中間地点にある
こがっちの家を目指して歩こうということになったので、そのグループ分けからは外れました。

夜7:00過ぎ、車隊が順々に出発し始めるのと同時に、わたしも陽子の会社へ向けて出発しました。

もしもに備えて、水と、少しでもエネルギーをと思って自販機に売ってたウェルチを買って進みました。

夜ごはんを食べていなかったので、途中コンビニへ入ったけれど、おにぎり、お弁当、パンなど
すぐに食べられる食料はすでに皆無。

仕方なく、チョコレートの詰め合わせと、まだ売れ残っていたコロッケを購入して、
陽子の会社へ行きました。

陽子の会社について、今後の方針を話し合っている間にも、度々襲ってくる余震。

陽子が調べたところ、こがっちの家へ寄らなくても、もしかしたらそのまま家に帰れるかもしれないということで、
陽子のiphoneの地図を手がかりに歩き出しました。

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しゅっぱーつ!!

いつもではありえない人の波が、足早に流れて行きました。

みんなどこか興奮していて、わたしと陽子はまるで夜の歩き遠足にでも出発する気分でした。

グループで行動している人たちは、少し楽しげにおしゃべりしながら。

それとは反対に、頭にはヘルメット、背中にはオレンジ色の「防災」と書かれたリュックを背負っている人も
何人もいました。

道はまったく壊れているところもまったくなく、普通に営業しているラーメン屋さんなどもあり、

「東京は、強いなぁー!!」

やっぱりそんなことを考えていました。

夜8:00を過ぎた頃、突然わたしのメールが復旧して、たまっていた大量のメールが
じゃんじゃん届きました。

中には海外から心配のメールもあったりして

「えっ!海外でもそんなに報じられてるんだ・・・」

と、怖くなったり、

「津波で家や街や人が一瞬で飲み込まれた」

という情報も入ってきて怖くなったり・・・

でも、やっぱりまだ実際の映像を見ていないわたしはそんな実感はわかず、
でも、ただごとではないことが東北で起こっているという事実はひしひしと伝わって来て、
今、外でこうしているときが、最後の平和なひとときなのかもしらない・・・なんてことを考えていました。

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この翌日、実は2週間後に迫っていたチア仲間のレイニーの結婚式の二次会の演技の練習の予定でした。

「あしたは電車動くかなー?来れない人とかいるだろうなー。」

そんなのんきなことを考えていたところへ、練習場所を提供してくれていた現役の子から

「明日の練習は中止になりました」

との連絡が入り、

「あぁ、そういうレベルか。。。」

と、実感。

大通りを外れると、ぐんと人はまばらになり、駅が見えるとまたぐんと人が増えました。

東急線某駅を通過する頃、電車の試運転が始まっていました。

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10分以上開かずの踏み切りになっていて、イライラし始める人、怒り始めるおじさん、
どなり始めるおじさん、そして、信じられないことに、小さな子供を連れたお父さんが、
遮断機の下がった踏み切りを、公衆の面前で渡り始めた!!!

ざわざわざわ・・・

「あぁいうことはしちゃいけないよ。」

そんな声が聞こえてほっ。

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この電車はわたしたちの使用している線ではないので、このまま通過。

でも、試運転が始まっているということは、もしかしたらもうすぐ電車が走り始める・・・??

と、淡い期待☆

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人気の無い自由が丘駅。

ここへ来て、ようやく休憩を入れることに。

入ったカフェは、今日はもう店じまい、ということで別のお店を探して、なんとか休憩。

どんどん入ってくる怖い情報。

でも、店内はとってもまったりしていて、読書をしている人、おしゃべりをしている人、
まるで、何も起きていない、いつもの夜のようでした。

でも、よくみると、隣の席に夜なのに小さな子供が。

ベビーカーにはおむつの袋。

避難してきているのでした。

夢と現実の間のような時間。

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わたしも陽子も、どんなひどいことが起きているのか、なんとなくわかっていた。

「家に帰ってテレビ見たら、現実を知るんだろうね。こんなことやってたことが、信じられなくなるんだろうね。」

そんな話をしながら、精一杯その時を楽しみました。

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そろそろまた歩き出さないとね・・・

と、お店を出て、自由が丘駅を通りかかると、なにやら人の動きが見えます!!

なんだなんだっ???

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行ってみるとタイミングよくアナウンスが。

「ただ今10:30を持ちまして、東急線全線、運転を再開します!!」

「おおおおおおおーーーーーーーー☆☆☆☆」

なんてタイミング!!!

やっぱりわたしは何かを持っている!!にやり☆

走って駅のホームへ行くと、わたしたちの線は人気がないのか(笑)
待ちに待った運転再開なのに、人もまばら。

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そして、最初にやってきた電車が、なぜか急行(笑)

急行で帰れるわたしは、各駅待ちの陽子をホームに残してその電車に飛び乗りました。

なんて薄情なやつなんだ・・・!!

せめて一緒に各停を待てばよかったな・・・

そんな罪悪感に苛まれながらも、ひと車両5人程度しか乗っていないその電車に乗って、
夜11:30頃、無事家にたどり着くことができたのでした。

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家のソファーで疲れきった顔でテレビを見ているマリーさん。

パピーさんはまだ帰って来ておらず、そのままテレビを見て呆然。

家に帰ったら、自分もわかる・・・と、想像していたけれど、想像以上の現実に、
ただただ無言でテレビにかじりつくことしか出来ない夜。

パピーさんも夜中1時過ぎに無事帰宅して、わたしの家族はみんな無事が確認されたけれど、
テレビの向こうでは、まだどれだけの地域で何が起こっているのかもわからない状況。

気仙沼が火の海です・・・

どこかの浜で遺体が300体発見されました・・・

これは一体・・・

自分の部屋でPCを立ち上げ、ネットのニュースの見出しに

「日本最悪の日」

という言葉にぞっとして、嘘であってほしいと本気で思ったのでした。

これが、わたしの2011年3月11日。

ここまで読んでくださった方、長々ありがとうございました。
by miwa-springfield | 2011-09-11 20:06 | DIARY


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